七下り目

一ツ  ひとことはなしはひのきしん  にほいばかりをかけてく

 

という理は、一事の話はその日のひのきしんというのは一寸の話は一寸の自由を見りせる事をいう。

只何事もこの理を道理に蒔いただけの種は生える。この理を思案して何事よらず深く心を定めて

善き種を第一に定めるなりというなり。

 

二ツ  ふかいこころがあるなれば  たれもとめるでないほどに

 

という理は、この深いというはこの二柱の神様の理をいうなり、この止めるというは何事もその元の心を妨げる事を止めるという理。またその者の心を笑う者の心を者も、そしる者も皆止めるという。

またこの道を止める心でいる者はわが身止まる道があり、また進めば共にわが身も実る道があり、この理を止めるやない程にというなり。

 

三ツ  みなせかいのこころにハ  でんぢのいらぬものはない

 

という理は、とは田地というのは、人間は物を作る所を田地という。その田地なら誰もほしがる田地が有っても人間には意気が無うては何にもならぬ神様の田地は世界中の人間の心を誠を田地という。誠の心で蒔く種は何程の実のりがする共分からん。誠一はやわかかい長い、堅い、大きい切れもない実やで。その実を取うと思う種は皆味は知ろまい世界中から成程の人や成程の者やといわれるこれ自由自在の元なり、天の理なり。誠で生える種は田地求める金銭も要らず心配も要らず物種も要らず肥も要らず年々の不作なし、わが身において病み煩いもなし憂い災難もなしいう。十分の大きな種は心の誠一つで有るのやで、この理を思案して田地を求める近道は後にして心の誠の田地を先にして何までも切れめなき様実りを授けようという事なり。

 

四ツ  よきぢがあらバ一れつに たれもほしいであらうがな

 

という理は、よき地は誰でも欲しい心、人間の地は物を作る所神の心世界中の人間の誠心の地を望む誠心は大きな物、人間も誠心を望まん者は有るまい。誠心を望みながらわが身の誠を尽くす事は嫌う

わが身が嫌うて世界の誠が有るはずないし、世界に誠が無うてもわが身が心に誠があれば皆世界から誠集まる。善き地を持っても種を蒔かねば生える理は有るまい世界が誠でも我が心に誠がなくば善き地に種を蒔かんのも同じ事なり。

 

五ツ  いづれのかたもおなじこと  わしもあのぢをもとめたい

 

という理は、何れは何処の人でも同じ事善き地を望まん者はなし、その田地は金がなくば求められん

と思う心は誰でも得心している。人間の誠の善き地は誰でも望まん者はなし、この心善き地は金銭は

要らぬ。我が心の誠で世界中の誠の心を皆受け取る事は間違い無し、天理の理も大き十分適うに間違

いなし。それに人間はあざない者でも金銭は要らぬわが身の胸三寸で誠出す事は嫌うて世界天理の大きに来る誠の実を取る事を知らんこの理を胸の内より思案して何事も見分け聞き分け誠の種が大き物という事なり。

 

六ツ  むりにどうせといはんでな  そこはめいめのぬねしだい

 

という理は、心にない事を無理にどうせととも、こうせともいわん銘々の心で思案して善き事と思う儘にするがよい神もその心通りの守りなり思案して見よ何程の悪人でも身の自由はしている

さしている心は同じ親心やで、親の心は変わらぬほど銘々の心通りが現れて善は善いだけ理がのる、悪は悪だけ理が現れる。高慢は高慢だけ理の現れる嘘は嘘だけ現れる、隔ては隔てが付く口先の上手でまわる人間はなまくらという実がのる、この実が世界に映る天に映るこの道を銘々に思案して我が心のすいた種を蒔けという事なり。

 

七ツ  なんでもでんぢがほしいから  

 

という理は、何でも田地を欲しい心で金を拵える心が強いこれが皆埃の元やで、金を拵える、心の元は、どういう元なら欲しいと惜しいとが第一の元、これが月日の第一の嫌い、この理をしあんしてみよ、埃がたまれば身がなやむ愁い災難も皆招く事なり、金が欲しいても身がなやみたり愁いが重なりては金がでけるでなし、有り金田地も減る道理に成る。皆運は天にある物なり、その天の運を受けるのは我が心より受けるものなり。この理を思案して田地を求める心を運ばす我が心より天運を受くる

思案が大きな物種と成るなり。

 

八ツ  やしきはハかみのでんぢやで  まいたるたねはみなはへる

 

という理は、この屋敷というはこの世うというのと同じ理¥なりこの世うは八方八柱の神の守護なり。この理で世界中は八柱の神の守護なり。その内の地を田地という。金銀に心をよせるに及ばす心の誠で何事によらず人の為世界の為我が為思わず心を尽くす思案して蒔いたる種は皆生える。というのは世界中は八方に八柱の神が守護している世界ならその誠の種値で八方よりはやすという事なり。

 

九ツ  ここはこのよのでんぢなら わしもしつかりたねをまこ

 

という理は、種を蒔こというのはこの善し悪しの理を思案して誠一つの種は大きな物わが身思案の欲種はちいさい物と心に定めて見ればわが身の欲種は何程でもちいそうなる理なり誠の蒔く種はなんぼともかからん大きな実のりする事と、真実に心の定まる事を聞き分けようの理なり。

 

十ド  このたびいちれつに  ようこしたねをまきにきた 

たねをまいらるそこかたハ こえをおかずにつくりとり

 

という理は、世界中は段々この理を聞いて誠一つに心を定めて来る者には一寸見える今の所でも身の内なやみなし作る立毛に凶作なし、世界の人の持つ知恵は深くどこまで行けども金銀の要らず、

世界の人より成程の人や成程の内やという理ははえる。これを作り取りというなり。