第三節

あしきをはらうてたすけ せきこむいちれつすまして かんろだい

 

一列澄ましてかんろだいと九篇となえる理は、人間のは九つの道具の借り物故、その借り物の理が心に分かるようにつとめをするなり。また甘露台というのは、人間始めた時の親の地場に頼む事をいうなり。

九の道具とは、目、耳、鼻、口、手、腕、胴体、足、男・女一の道具の九つなり。人間は九つの穴有り。目に二つ、耳に二つ、鼻に二つ、尻に一つ、へそに一つ、男・女の一の道具に一つで九つなり。九つ道具に心を一つ添えて十分の働きできりるのは、十柱の神様の守護なり。

九つの道具に一つ一つ楽しみを添えて貸してある。人間はこれを知らずに、心の気ままから余計な方へ欲の手をの延ばし、罪をつくり悩む。そしてこの天与本来の楽しみを沢山失のうて、悩む者は数知れず。罪、埃、悪気、九つの道具の悪しきを払うて、九つの道具を持って人の悪しき助けことを急き込む。世界の人間の理がわかって、悪しきを払えば助かる。その人間の心が澄むことを神様が急いておられる事を、悪しき払うて助け急き込む、一列澄まして甘露台というなり。